2004年11月28日、スコットランドに住むウィルソン一家のもとに、謎の手紙が届いた。
顔見知りではない男が一家を訪ねてきて、一家の父である「アリステア・ウィルソンに手紙をわたしてほしい」と青い封筒を置いて去っていたという。しかし、青い手紙の宛名にはウィルソン家にはいないはずの「ポール」と書かれていた。
アリステア・ウィルソンは手紙を受け取ったあとすぐに銃で撃たれ、亡くなった。不可解なことに、ウィルソン家や遺体からは青い封筒が無くなっていたそうだ。
ポールとは誰なのか?青い封筒はなんだったのか。
今夜は世界に届けられた、奇妙な手紙を見ていこう。
「私の猫の名前は?」失踪後に送られた怪文書―アメリカ
2007年11月、ニューヨークに住むジャリエック・レインウォーカーが姿を消した。
ジャリエックは薬物中毒の母親から生まれ、養護施設や養父のもとで育てられた。頭は良いといわれていたが、いくつかの精神疾患と愛着障害があり、かんしゃくを起こすと止められないような子だった。そのため養父のもとを転々としたあと、スティーブン・カー氏の養子になる。しかし、スティーブン氏の子ども(つまり義兄弟)に危害をくわえたため、別の養父へ預けることに。
ジャリエックの失踪は、スティーブン夫婦がちょうど、養子縁組をやめる相談をしていたときのことだった。
「ジャリエックが逃げ出した」という声もあるが、事件の可能性は否定できない。捜索願が出され、ジャリエックの元養母も捜査に協力したり、広範囲を調査したりしたが、ジャリエックは見つからなかった。
そして2008年1月、メディアとスティーブン家のもとに、奇妙な手紙が届けられる。差出人は書かれていなかったが、消印はニューヨークで押されていた。
ジャリエックはまだ生きている
麻薬の戦争のために彼が必要だった
彼をRt 40 Post 30に迎えた
彼は大丈夫
ウソじゃない
ジャリエックはママとパパにたずねた
マカロンニ 家はだれですか?
私の猫の名前はダイアモンドですか?
どうしてフランティはあんなに怒鳴るんですか?
私たちをそこにいないように、見ようとしないでください。
マカロンニ家もフランティも聞いたことがない名前であり、手紙は意味のわからない言葉を並べられただけのように見えた。しかし、猫の名前が「ダイアモンド」というのだけは合っていた。
なぜ飼っている猫の名前を知っているのか。手紙の意味の分からない言葉たちは何をあらわしているのだろうか?
養父たちは手紙の「生きている」という言葉を信じて、ジャリエックを探している。
「鳥を生き返らせたい」という手紙―イギリス

イギリスに住むカラ・コソン氏はヨウム「ジョージョー」を飼っていた。ヨウムとは、大型インコであり、寿命は50年ほど。言葉を真似るだけではなく、人とのコミュニケーションもとれるらしい頭の良い鳥だ。コソン氏はジョージョーを本当の子どものようにかわいがっていた。
2015年2月、コソン氏の家に泥棒が入る。お金や高価な物はなにも盗まれておらず、ペットのジョージョーだけが消えていた。
鳥かごには、新聞の文字を切り抜いて作られた手紙が残されていたという。
「鳥を生き返らせたい。
警察に連絡をしてください。
鳥は死への苦痛をゆっくり味わっている。」
生きているのか?亡くなっているのか?
ジョージョーが盗まれたことをSNSで呼びかけたり、鳥を見つけてくれた人に報酬を支払うと知らせたりもしたが、ジョージョーは返ってこず、犯人もわかっていない。
ファントムからの手紙―アメリカ

1971年から1972年に6人の女性を殺害し、そのほか監禁などをした凶悪犯は「フリーウェイ・ファントム」と呼ばれている。襲われた女性はすべて10代であり、アフリカ系アメリカ人だった。
奇妙な手紙が残されたのは、5人目の被害者のときだ。被害者は18歳のブレンダ・デニス・ウッドワード。
ファントムの被害者のほとんどが服や靴がなくなった状態で発見されていたが、ウッドワード氏は服も靴も身につけたままだった。
彼女のコートのポケットに手紙が入っていた。筆跡鑑定により、手紙はウッドワード氏によって書かれたものだとわかった。
手紙の内容はサイコパスそのものである。
「人々、とくに女性にたいして私は『無関心』だ。もし、あなたが私を捕まえられたら、他人を『人』と認めよう! ―フリーウェイ・ファントム」
少女たちはサイコパスの犠牲になったのだ。この手紙を含め、どの犯行も確たる証拠は見つかっておらず、ファントムの正体も行方も謎のまま。
音楽を愛しすぎている悪魔からの手紙―アメリカ

斧男は1918年から1919年、アメリカ・ニューオーリンズに住む人たちを恐怖におとしいれた。
その名の通り、斧男は斧や西洋剃刀をつかって人を襲う。1年の短いあいだに6人もの犠牲者を出し、12人を負傷させた。
必ず女性というわけでもなく、男性もギセイになっており、無差別なのかそうではないのかをよく考察された。結局、事件の共通点はハッキリとせず、町の人々は「つぎは自分かもしれない」と強い不安を感じていたという。
1919年3月13日、斧男から新聞社あてに手紙が届く。そこには「私は生きている人間ではなく、悪魔だ」という文や、次の犯行予告が書かれていた。
「私は火曜日の夜12時15分にニューオーリンズへ行く。私にも哀れみの心があるので、あなたたちに課題を出しましょう。」
「私はジャズ音楽をとても愛している。ジャズをかけている家はすべての悪魔に誓って襲わない。
だから火曜日、ジャズを流している家は襲わないことにする。」
そして火曜日、どの家もジャズがかけられた。ジャズが流れているバーには人が集まり、夜のあいだ町がジャズでいっぱいになった。手紙の通り、火曜の夜は斧男による被害はなかった。
その年、さらに4人が被害に遭い、そのうち一人が息絶えたのを最後に、斧男はニューオーリンズから姿を消した。
容疑者と疑われる人物がたくさん挙げられているが、確証にいたっていない。
斧男は姿を変えて普通に人々と生きたのだろうか?
音楽のために、人にためらいなく斧を振り下ろすとは、本当に悪魔だったのかもしれない。
参考:LISTVERSE、InsideHook など